ジゴクジジイのジゴックス

バカの頭の中を屁理屈と言葉のレトリックでしたためた虫下しコンテンツをご賞味あれ。WordPressで元々書いてた記事をインポートしたので所々バグってます。ごめんなさい。

特撮ヒーロー番組は誰の為、何の為にあるのか

 新しいライダーの季節がやってきました。
今年はコロナの影響でどの作品もロケ中止を余儀なくされて総集編や放送自体の遅延などがあり、例年通り満足のいく時間で作品を描けなかったのはとても残念な年になりました。

 さて新しいライダーやウルトラマンが発表される度に散見される「こんなのライダーじゃない」や、「ウルトラマンなのにxxをするな」と言った、オリジンとの比較による否定的な意見。

 また一方で、「xxっぽい、ついにネタ切れか」といった過去作あるいはベンチマークヒーローとの共通点によるネガティブな意見。

 まぁ割とこうした言葉は「動くとカッコよく見える」というところまでが様式美なので、風物詩みたいなものなんですが、これって「特撮ヒーロー番組は誰の為、何の為にあるのか」という話かなと思います。

これには私の持論があります。

 

 

1.ピンとこないなら自分はその作品の主要取引先ではない

作品は常に今のコアユーザーに向けて作られています。
なのでピンとこないなら自分はメインクライアントではないんですね。
これは特撮ヒーローに限った事ではなく若者文化全般に言える事で、例えばtiktokとか「何が面白いのかわからない」という方いますけど、それはシンプルに「あんたに向けて作られていない」からなだけです。


ライダー、戦隊、ウルトラで厳密には若干ズレますが、その主要取引先の多くは未就学から中学上がるくらいまでの男女です。


もちろん作品によってそこの幅に誤差がありますが、情操教育が大切な期間の子供たちに向けて作られています。

その次の優先度で旧来のファン(我々既存顧客)がいます。

したがって作品性は常に主要取引先に向けて新鮮な状態でデザインされ、キャスティングされ、物語が紡がれます。

これまでにあった作品との整合性や過去作とのオマージュは、ファンへの目配せとして享受するならまだしも、当然の権利として主張するのは些か疑問です。

 

もちろん、中には最初から古参ファンやオタクにターゲットを変えた作品も生まれますが、それは作品ドメイン自体が異なる為、メインストリームである子ども向け番組とは異なるビジネススキーム、マネタイズを設計されていることがほとんどです。
それらを同じまな板の上に載せて、あの作品では大人向けに作れたんだからもっと増やせ、といった主張は筋が違うと考えます。稼ぎ方も作り方も厳密には異なるので。

 

アマゾンズはアマゾンズなりのマネタイズとスキームがあってこそなわけです。

 

仮面ライダーが車に乗ろうが、ウルトラマンが喋りすぎようが、それらは今を生きる子供たちに届けて作られているのを忘れてはいけないと思うのです。

 

2.毎年作品の供給があるのは当たり前じゃない

2020年現在、地上波では仮面ライダースーパー戦隊ウルトラマンの御三家が放映されています。
ライダー、スーパー戦隊は通年、ウルトラは2クールですが、これらの作品を毎年新作で見られるというのはテレビ特撮ヒーロー史を見ても異例な状況です。
というのも、この御三家は昭和から平成にかけて存続の危機に瀕し、一度はシリーズ終了しています。

唯一スーパー戦隊は皆勤賞ですが、地球戦隊ファイブマンで一度存亡の危機に瀕しており、シリーズが遥かな眠りの旅を捧げられてもおかしくなかったわけです。

組織体質、収益構造の不安定さ、アニメ・ゲーム等他メディアの台頭といった内憂外患の状況が御三家冬の時代を作ったと言っても過言ではありません。

テレビ放映という主戦場ではライダーBlackRXからクウガまでの11年、ウルトラマンは80からティガまでの16年に渡って新作が作られないという時期が続きました。

 

勿論この間に「メタルヒーロー」という東映の新しい作品フォーマットの定着や、既存キャラクターをデフォルメしたウルトラマン倶楽部、仮面ライダーSD等の新しいマーチャンダイジングによるキャラビジネスが生まれた事は喜ばしい事でしたが。
また、東宝による等身大の特撮ヒーロー作品が作られ、特撮ヒーローの裾野が広がったのも御三家が弱体したからかもしれません。

 

今でこそ平成・令和ライダーは21年連続放映、ニュージェネレーションウルトラマンは8年連続放映、とそれぞれのオリジンである昭和シリーズの連続放映期間を超える番組となりました。

これを下支えしているのは安定した経営基盤、データドリブンな作品作り、マネタイズの確立があってこそです。

レジェンド商法などと揶揄されますが、視聴率と売り上げがあってスポンサーがあり、永続的なシリーズ展開が実現できます。

しかしそれも今のマーケットにハマっているだけであって、いつ新しい文化にとって変わられるかはわからない状態です。
今が当たり前じゃない、というのは常に思っています。

 一方で、昨今の特撮ヒーロー番組マネージメントは「作品で伝えたいメッセージテーマ」と「販促活動」とのバランスをとった作品作りが求められている点で、年々難易度が高くなっている事は明らかです。
 スポンサーの意向があまりに作品へ介入してしまった展開は、時に目を覆う様なものもありますし、その尺をストーリーにくれよ!と思う事もあります。一回しか出てこない様な乗り物とか!ですね。
 政教分離みたいな感じで"商・語・分離"のバランスが崩れると作品自体に人が寄り付かなくなり本末転倒なので、作り手にはスタッフクレジット見るたびに「負けんじゃねえぞ」と「いつもありがとう」を勝手に思っています。

 ちなみにこの辺りの話は「ウルトラマンが泣いている」に詳しいので興味が湧いたら是非読んでみてください。

 

3.特撮ヒーロー番組は永続的に象徴として存在することに意義がある

 これが一番言いたかった主張です。
特撮ヒーローが存在する目的は株主の財を豊かにすることではなく、今を生きる子どもに希望と未来への夢を与える事、サブ目的で今を生きる大人に明日への活力を与える事だと割とマジで思っています。
だからサスティナブルに存在し続けなければいけない。

作品性を尊重しすぎて、あるいはオリジンに固執しすぎて打ち止めし、希望の灯火を途絶えさせてはいけないと思うのです。

 象徴として常に新しく存在し続ける事で、視聴者に新しい感動、発見、刺激、安息、想像力を与え、ひいては人生を豊かにできるツールになります。

 

 人間の想像力の限界を飛び越えて新しい発想に到達できるのはSFであり、その表現の一つとして特撮ヒーロー番組があります。

 

 かなり飛躍しましたが、「特撮ヒーロー番組は主に今を生きる子供の将来のQOL向上手段の一つとして存在する」というのが私の持論です。

改めて
「ヒーロー番組は教育番組である」という宮内洋氏の言葉が今になって、

いや今だからこそ深く重く受け止められる気がします。