誉れ、誉れってなんだ?振り向かないことさ_ゴーストオブツシマの感想など
ゴーストオブツシマをクリア。
一生分「誉れ」って言葉を摂取した気がする。
開発会社はアメリカのサッカーパンチ社。
ビビるくらい日本人以上に丁寧な日本の所作がゲームのあらゆる所に再現されていて、「あぁこれは本当にお侍様を好きな人たちが日本人以上に学んで作ってんだな」と思わされる。
例えば抜刀納刀、お辞儀、狐を撫でるなど、ゲーム上まったくなんのパラメーターにも作用しないアクションがあるのだが、これらはそこに住う人達という解像度をグッと引き上げるのに貢献している。
やらなくてもゲームの進行に支障はないのだが気づいたら自然とやっている。この動作だけでも実装と膨大なデバッグが必要だろうに、没入感のための再現性を提供する為の「作品愛」を感じた。
サッカーパンチ社のゲームをできて私は果報者です。
ゴーストってそういうことか
ゲームやる前は、元寇の際に島を守って命を落とした武士が英霊から力を借りて転生し、霊の籠手とかを使って島を蹂躙する元寇をやっつける話かと思っていた。
なんていう鬼武者なんだそれは。
だからゲーム序盤で何回か発生する、「ストーリー上の瀕死」に陥る度に、ああここから英霊が出てくるのかな。あれ、でてこない。なんで生きてんだこいつ。あの高さから落ちて。ブチャラティ的なとこか?とずっと死を追いかけていた。
実際はそんなファンタジーより残酷で現実的で美しい話だった。
いや、ある意味ファンタジーではあるんだけど。
史実でいうところの文永の役、弘安の役あたりをモチーフにしてるとか。
そもそも史実で神風がきて防いだとかなんだよって感じだよね。
その神風というフワッとしたニュアンスの隙間に上手いことハマっているので、あの教科書の年表のたかだか一行の中に「この話は本当にあったのかもしれない」と思わせる説得力があった。
この話は鎌倉期に幕府から定められた由緒ある武士の家系を継いだ侍が、未曾有の規模な襲撃に直面した時に、これまでの侍という生き方・価値観では守るべき民を守れないと判断し、価値観をアップデートして「島の民を守る」という目的に手段を最適化=冥人(くろうど)になっていくという話。
冥人っていうのは島の民に伝承される幕府や侍とかとは独立した伝説の救世主みたいなもんで、民からは心の拠り所とされるものの、幕府からしたらそんな再現性のない正体不明で誉れに沿わない概念は謀反者なので水と油。
まぁ"侍とは"とか"武家のかくあるべし"っていうのは当時の管理する側が世を平定するのに統制しやすくする為にインストールさせた価値観だろうから、常識外のイカレ野党みたいな連中から猛撃くらったらそりゃ状況に応じてアプデしないととは思うけど、そんなコロコロ変えたら幕府自体の信用も危うくなるので、バランスが難しい。
ある意味冥人は必要悪ではあったんだろうなと思う。
たまたま正義の心を持ったやつが冥人だったけど、どこぞの牢人崩れが勝手な判断で同じ様なこと始めたら秩序も何もあったもんじゃないからなぁ。
管理する側は大変だろうなぁ。
ゲームシステムの所感とか
広大なオープンワールドで馬に乗って駆け抜ける爽快感、戦闘中以外はゲームのUIが表示されず、劇伴BGMもなく、自然の環境音に囲まれる没入感たるやブレスオブザワイルドを思い出す。
謎解きって言ったら足跡探すくらいだけど。
それにしてもあまりに自然でこちらの常識が無意識にアップデートされてたけど、ほんとあの情報量を処理落ちせずにほぼノーローディングで遊べるってほんとに凄い。
一つの画面で30人くらいがチャンバラやってて一回もディレイ無かったもんな。
シナリオと世界観、ゲームとしての爽快感は、それらを最大化させるシステムがあってこそなんだな。
あと難易度設定も絶妙。
ゲーム始めた当初は敵が出てきたら攻撃ボタン連打してればいいのかな、なんて考えていたらそもそも一太刀じゃ死なないわ、こちらの剣を捌いてカウンター入れてくるわ、集団で来るわ、遠くから弓撃ってくるわ、と真っ当にやりあうとほぼ勝てない始末。
これが「もう侍は先の戦でほぼいなくなって自分しかいない。しかも敵強いしなんなんだよもう」というシチュエーションにめっちゃ合う。
だからこそ闇討ちや暗器使いなど、冥人化にむけて自分を説得していける理由づけにもなるという、どこまで凄いんだサッカーパンチは!と頭を抱えてしまった。
これが徐々にプレイヤー自身の慣れと、パラメーター強化による戦闘力アップが如実に現れて圧倒的な爽快感に繋がる。
挫折からの成功体験による「俺強くなったじゃん」っていうあの自己肯定感の強化はモンハンに近かった。
どこまで凄いんだサッカーパンチはよぉ!
あとサッカーパンチってどんな名前なの??
あと馬がすごい可愛い。本当に馬に救われた。だって可愛いんだもん。
元寇とコロナと
幕府側の価値観=誉れ至上主義で生きてきた王道を行く親族と、凄惨な多くの死に直面してきた主人公が段々と覇道を進んでいくことの葛藤は、お役所と市井のギャップに非常に似ている。
多かれ少なかれプレイヤーの身につまされる事があるのではないかと思うし、だから多くの人達に共感を得られるのだと思う。
特に今般のコロナという未曾有の災いは当時の元寇みたいなもんで、今の我々がお国の判断や行使に一喜一憂し、被害者数をただ見ているしかない状態をリンクして考えざるを得なかった。
そんな閉塞した答えのないこの状況下にこそ、ゲームの中ではせめて謀反者とあだなされて尚、解決に導く冥人様という答えが多くの人に受け入れられたのだろうなぁ。
その他ざっと箇条書きでまとめ
・金田城の戦、志村城の戦、鑓川の戦はこのゲームでも特にブチ上がった。
たった一人で戦ってた頃から徐々に仲間が増えて多勢に向かうという構図はやっぱり気持ち良い。
「うぉー!」と謎の声を上げてしまった。夜中に。
特に志村城はロケーションや状況から、いやが応にも小茂田の敗戦を思い出すので
「あの頃のチュートリアルだった俺じゃねえぞ!リベンジじゃあ!!」とテンションバクあがりした。
・ゆな。お前ニューヨークでも俺のこと助けてくれなかった?違う人?転生先?
・初めて政子殿と共闘したときは猛烈果敢に飛び込んでいって自滅したのを見て爆笑。
蘇生はR2長押しなの気づかなくて「おいR2押してんだろ!生き返れババァ!」と憤ってた。
・やたら煽ってくるくせに自らは煽り耐性の無い石川先生。ムカついたので共闘する時はいつも蒙古兵にギリギリまで石川先生を痛めつけさせて、蘇生が必要になってから助けてやっていた。謀るなよっじゃねえよ。
・典雄のノリオ感すげえ。誰がなんと言ってもノリオ。名付け親のセンスが凄い。あれはノリオ。またはマルオ。
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