30代社会人が誕生日プレゼントで贈って喜ばれたのは、ポケットに入れてたファンタジー。
先日、計らずも32歳の誕生日を迎えた。
今調べたら32年前に鳥山明は32歳だったらしい。すごい!偶然の一致。
それはさておき、もうこの年になると誕生日にこみ上げてる感情は「自分がめでたい」という類いのものではなく、「今日まで生きられた事を周りに感謝する日」。
周りというのは仕事仲間やクライアントはもちろん、古い友人や働き始めてから知り合った友人まで。
この跳梁跋扈する地獄変たるご時世で生きながらえていられるのは、自分のポテンシャルよりも、むしろその外にある変数に生かされているから、と割とまじで思う。
だから自分の誕生日はもちろん、その大切な人たちの誕生日には今迄以上に何かしら用意をするようになった。
ギフトはあまり高すぎても気を遣わせてしまうし、安いと気持ちが伝わらない。
実用的なものならばいいが、その好みがわからない場合、合わないとマジでいらないものになってしまう。
余談だが今迄で一番もらっていらなかったのはカイロ・レンのライトセーバー。
1万円くらいする超でかいやつ。あれ抱えて帰社する時は本当に不審者だった。
引っ越しの度に「でかい・・・」という感想以外、感情が”無”になる割には場所コストが掛かるので本当に好きじゃない限りはライトセーバーを贈るのはやめたほうがいい。
プレゼントに無難なのは食ったり飲んだりして消費できるものやiTunesカード・Amazonギフト券。
ギフト券の類いは自分だったら超絶嬉しいが、使われなかったらそれはそれで寂しいきもちも多少ある。
前置きが長くなったが、お世話になっている方々への誕生日プレゼントとして、今のところ100発100中で喜ばれるものがある。
それは「ゲームソフト」だ。
これはハードを持っている対象者限定にはなってしまうが、そうである場合はめちゃくちゃ喜ばれるので是非試してみて欲しい。
プレゼントの相場は関係性によって変動するが、3,000円~5,000円くらいだと思う。
この価格レンジの中で、「いるんだかいらないんだか分からないもの」よりも、「少なくとももらったらプレイする」という要素をはらむゲームソフトは上記の相場感でそこそこイイものが揃っている為、贈呈対効果が高い。※対象者の趣味嗜好を理解した上で、というのがポイント。
新品のビニールを被ったゲームソフトは、我々のプリミティブな感覚を刺激する。
少年時代のゲームを買って家までの帰り道の期待感、パッケージを開ける瞬間の高揚感はいくつになっても色あせる事がない。
思い返してみて欲しい、自分が受動的に手に入れたゲームソフトがこれまでに何本あっただろうか。それはきっと自分のお小遣いではなく親や親戚からのギフトでしか体感しえなかったのではないだろうか。
ある程度資本を自由にできるようになると、能動的に購入する事でゲームソフトを手に入れる事は増えても、受動的にゲームソフトを手にする事はいよいよ無くなってくるのが普通だ。
だからこそイイ年こいた大人になって急におじさんにゲームソフトを買ってもらった時に感じる驚きと楽しさは、受動的にゲームを手に入れていた時代をリフレインさせるという体験も得られるのだと思う。
友人や仲間の普段畏まった表情が、一瞬ガキに戻るあの瞬間。
これを見たくて俺はゲームソフトをばらまいているのかもしれない。
それが5,000円以内でできるって、なんて安い買い物だろう。気に入らなきゃ売ってもらってもいいし。
大人になってほぼ何でも自分で買える様になった今だからこそ、「人からゲームを買ってもらう」という体験自体がプライスレスなギフトになるのだと思う。
「大切な人へのギフトはゲームで」。そんな優しい常識があってもいいんじゃないかと思った次第。
ちなみに俺はポケモンシールドを買ってもらった。
小林幸子が歌ってた、
「昔子どもだった頃ポケットに入れてた沢山の宝物」ってこれかぁ。